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- 313 :本当にあった怖い名無し:2009/12/09(水) 17:25:52 ID:DYlrpOri0
- もう二十年以上も前のことだ。
そのころ僕は、色々と問題を抱えた両親のもとを離れて、Tさんの住む、
田舎の古くて広い家で暮らしていた。
僕は七歳で、Tさんは二十いくつか。ぼくたちは親戚で、それもひどく
遠縁の親戚に当たるのだが、
一緒に暮らしていた――僕が思い出せないころの昔から。
この家には他にも住んでいる人がいた。みんな同じ一族だ。
だが、その人たちは僕らを押さえつけていて、ときには泣かされたりもした
ものだが、僕らの方はだいたいの時、眼中にさえ入れてなかった。
僕らは互いに親友なのだ。Tさんは僕のことを「相棒」と呼ぶのだが、
それは昔、彼の親友だった男の子のことをそう呼んでいたからだ。
その「相棒」の方は、彼がまだ子供だったころに亡くなっていた。
まあ彼は今でも子供みたいなものだが。
何はともあれ、お互い他に友達らしい友達もなく、遊びや勉強、その他の色んなことを
知らない僕らの、一番の楽しみは一年に一度のクリスマスだった。
毎年、十一月の終わりごろのある朝がやってくると、Tさんは台所に立って
「フルーツケーキの季節がきたよ!」と高らかに宣言する。
それから僕らは、懸賞や家の手伝いや、花を売ったりして1年がかりで貯めた
お金をはたき、大量の材料を買い込み、
四日がかりで、31個ものフルーツケーキを焼き上げる。
今まで僕らが出会った人たちや、まだ出会ったことのない人たちのために。
そういった人たちからお返しに送られてくる、一セント葉書や
カリフォルニアやボルネオの消印がついた礼状なんかを見ていると、
僕らはこの空の他には何も見えない台所のずっと彼方にある、
活気に満ちた外の世界に結びつけられたような気持ちになれるのだ。
- 314 :本当にあった怖い名無し:2009/12/09(水) 17:26:43 ID:DYlrpOri0
- 僕らは他のことには滅多にお金を使わなかった。
ただ週に一度、僕が映画を見にいく時以外にはTさんは映画を見た事がなかった。また、見たいとも思わなかった。
「おれはお前の話を聞いてる方がいいんだよ、相棒。
その方が想像をふくらますことができるからね。
それにおれは、あまり目を使い過ぎちゃいけないのさ。
肝心な時に霊や妖気が見えなくなったら困るから。
何より、今見えているものだけでおれはとても充分なんだよ」
待ちに待ったクリスマス。
その年も、僕のTさんへのサプライズプレゼントは手作りの大きな凧だった。
そしてTさんもまた、僕へのプレゼントに立派な凧を作っていてくれたのだ。
ぼくらは朝ご飯も食べず、凧を抱えて近所の牧草地まで走っていく。
それから、クリスマスの広い空に舞い上がった二つの大きな凧を眺めながら
僕らは草の上に横になって蜜柑を食べた。
十二月だというのに太陽の光が暖かく、この上なく幸せな気持ちだ。
Tさんも興奮した様子でぽつりと呟く。
「おれはね、相棒。今日という日を目に焼き付けたまま、
今ここで死んでもかまわないよ」
- 315 :本当にあった怖い名無し:2009/12/09(水) 17:29:39 ID:DYlrpOri0
- これが僕らがともに過ごした最後のクリスマになった。
人生が僕らの間を裂いてしまう。
わけしり顔の連中が、僕は寄宿舎に入るべきだと決める。
そして軍隊式の獄舎と起床ラッパに支配された冷酷なサマーキャンプを
惨めにたらいまわしにされることになる。
Tさんは一人取り残されて、何をすることもなく台所をうろうろしている。
その後何年かは、11月がくると、彼は独力でフルーツケーキを焼き続ける。
それほど沢山の数ではないけれど、いくつかは焼く。
言うまでもないことだが、僕に「いちばん出来のいいやつ」を送ってくれる。
そしてまた、どの手紙にもちり紙でくるんだ十セント玉が入っている。
「映画を観て、おれにその筋を教えておくれ」
彼はやがて僕と、彼の昔亡くなったもう一人の相棒とを混同し始める。
ベッドから起きあがらない日が増えていく。そして十一月のある朝が訪れる。
木の葉が落ち、鳥の姿も消えた、冬の訪れを告げる朝だ。
しかし彼が起きあがって「フルーツケーキの季節がきたよ!」と
叫ぶことは二度とない。
それからというもの、十二月の特別な日の朝、僕は学校の校庭を歩き、
空に浮かんだ大きな迷い凧を眺めながら「寺生まれってやっぱりすごい」
と、そう思うのだった。
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- 314 :本当にあった怖い名無し:2009/12/09(水) 17:26:43 ID:DYlrpOri0
- 僕らは他のことには滅多にお金を使わなかった。
ただ週に一度、僕が映画を見にいく時以外にはTさんは映画を見た事がなかった。また、見たいとも思わなかった。
「おれはお前の話を聞いてる方がいいんだよ、相棒。
その方が想像をふくらますことができるからね。
それにおれは、あまり目を使い過ぎちゃいけないのさ。
肝心な時に霊や妖気が見えなくなったら困るから。
何より、今見えているものだけでおれはとても充分なんだよ」
待ちに待ったクリスマス。
その年も、僕のTさんへのサプライズプレゼントは手作りの大きな凧だった。
そしてTさんもまた、僕へのプレゼントに立派な凧を作っていてくれたのだ。
ぼくらは朝ご飯も食べず、凧を抱えて近所の牧草地まで走っていく。
それから、クリスマスの広い空に舞い上がった二つの大きな凧を眺めながら
僕らは草の上に横になって蜜柑を食べた。
十二月だというのに太陽の光が暖かく、この上なく幸せな気持ちだ。
Tさんも興奮した様子でぽつりと呟く。
「おれはね、相棒。今日という日を目に焼き付けたまま、
今ここで死んでもかまわないよ」
- 315 :本当にあった怖い名無し:2009/12/09(水) 17:29:39 ID:DYlrpOri0
- これが僕らがともに過ごした最後のクリスマになった。
人生が僕らの間を裂いてしまう。
わけしり顔の連中が、僕は寄宿舎に入るべきだと決める。
そして軍隊式の獄舎と起床ラッパに支配された冷酷なサマーキャンプを
惨めにたらいまわしにされることになる。
Tさんは一人取り残されて、何をすることもなく台所をうろうろしている。
その後何年かは、11月がくると、彼は独力でフルーツケーキを焼き続ける。
それほど沢山の数ではないけれど、いくつかは焼く。
言うまでもないことだが、僕に「いちばん出来のいいやつ」を送ってくれる。
そしてまた、どの手紙にもちり紙でくるんだ十セント玉が入っている。
「映画を観て、おれにその筋を教えておくれ」
彼はやがて僕と、彼の昔亡くなったもう一人の相棒とを混同し始める。
ベッドから起きあがらない日が増えていく。そして十一月のある朝が訪れる。
木の葉が落ち、鳥の姿も消えた、冬の訪れを告げる朝だ。
しかし彼が起きあがって「フルーツケーキの季節がきたよ!」と
叫ぶことは二度とない。
それからというもの、十二月の特別な日の朝、僕は学校の校庭を歩き、
空に浮かんだ大きな迷い凧を眺めながら「寺生まれってやっぱりすごい」
と、そう思うのだった。
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