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忘れられない人がいます。Tさんといいます。
Tさんかあは京都の神社やお寺の話をよく聞きました。
どんなに小さなお寺でもTさんはよく知っていました。
コーヒーの入れ方も上手でした。
前日の夜から準備して、私たちが開設する老人ホームまで、利用者や職員の分まで
持って来てくれた事もあります。
Tさんは86歳。片足の不自由な、末期がんの一人住まいの男性です。
現役の頃はタクシー運転手をしていました。
その日は、お風呂に入り、昼食も食べ、にこにことみんなの話を聞いて
満足そうに過ごしていました。
しかしその二日後、ヘルパーさんが訪問すると、ベッドの柵にもたれたまま、
息を引き取っていたのです。
一度だけ、ご長男に会った事はありますが、Tさんとは親密な感じではありませんでした。
老人ホームでの最期の日の様子を血縁の方々に伝えたくて、
私達はお通夜に参加しました。
読経が終わると、お坊さんがTさんのお孫さんに話しかけました。
「あなたはおじいさんを知っているの」と。
今のあなたの年齢のとき、Tさんは特攻隊員として遠く鹿児島で訓練を受けていたこと。
おばあさんを不自由な身体で看病し、Tさんは誰にも看取られずにこの世を去ったこと。
最初に見つけたのは、家族ではなくヘルパーさんだったこと。
Tさんの生きた歴史をかんで含めるように語り掛けるお坊さんの真剣な問いかけには、
胸を打たれました。一人ぼっちだと思っていたTさんは、このお坊さんには
何でも話していたのです。
家族に看取られず、一人で最後まで生きていく人が増えてきました。
一人暮らしの80歳や90歳の方には、ご近所とも付き合いが無い人も多いでしょう。
それでもその人の生きた証しを誰かに残そうとするのは、ごく自然なことです。
家族、ご近所、友人、最期のときを過ごす場所などに、一人でも心通じる人がいれば、
その人の一生は素晴らしい一生だと思います。